洲崎神社

東京都江東区にある『洲崎神社』を参拝してきました。

こちらの神社は駅から近い場所にありますが、大通りから少し離れているので、とての静かでした。
11月の酉乃市開催近くに訪れたのですが、境内はきれいに清掃されていて気持ちよく参拝することが出来ます。

由来

当洲崎神社は元弁天社と称し厳島神社の御分霊祭神市杵島比売命を斉紀しております。
創立は徳川五代将軍吉公の生母桂昌院の守り神として崇敬するところとなり、元禄十三年、江戸城中、紅葉山より此の地に遷して宮居を建立してより代々徳川家の守護神となっていた。

当時は海岸にして絶景、殊に弥生の潮時には城下の貴賎袖を連ねて真砂の蛤を捜り桜船を浮べて妓婦の絃歌に興を催すとあり、文人墨客杖を引くという絶佳な所であったという。
浮弁天の名の如く海中の島に祀られてありました。

明治五年御由緒により村社に列せられ世間より崇敬厚かった。

大正の霊祭、昭和の戦災に社殿は焼失されたが弘法大師作の御神体は幸にして難を免れ、当時は仮社殿に奉斉して居りましたが昭和四十三年現在の社殿を造営し斉紀して現在に至っております。
 ※洲崎神社内の由来諸 より

御祭神

市杵島比売命(イチキシマヒメ)

アマテラスとスサノオが、天眞名井で行った誓約(アマテラスとスサノオの誓約)の際に、アマテラスがスサノオの剣を噛んで吹き出した霧から生まれた三女神の三女。
「イチキ(斎き)」は神霊を斎き祭るという意味があるという。
なお、この誓約からは五男三女神が生まれており、うち、タギツヒメ(多岐津姫命(たぎつひめのみこと))・タキリビメ(多紀理姫命(たぎりひめのみこと))・イチキシマヒメの三女神を特に宗像三女神という。

『古事記』では2番目に生まれた神である。
『日本書紀』においては、本文では3番目に、第二の一書では最初に生まれたとしており、第三の一書では、最初に生まれた瀛津嶋姫(おきつしまびめ)の別名が市杵嶋姫であるとしている。

イチキシマヒメを祭神として祀る市杵島神社では、「市杵島姫命は天照大神の子で、皇孫邇邇芸命が降臨に際し、養育係として付き添い、邇邇芸命を立派に生育させたことから、子守の神さま、子供の守護神として、崇敬されている」という説明板がある。

年間行事

1月
元旦祭
22日
2月
節分先
節分の日
3月
初牛祭
8月
三日
例大祭
11月
酉の日
酉の日
12月
三十一日
大祓祭
年越祭
古札燃納祭

玉の輿たまちゃん

五代将軍・徳川綱吉公の生母桂昌院(幼名=お玉)は八百屋の娘から武士の養女・公家出身の尼僧の侍女へそして将軍家光の側室にまで上り、立身出世した事から、桂昌院が「玉の輿」の語源・代名詞となったことが頷けます。
当社は1700年に桂昌院が設立したので始まりです。
 ※洲崎神社内の由来諸より

地図

     
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